Autobiography

IORI KIKUCHI

Chapter 1 Everlasting Memories

遠く離れた物事や過ぎ去ってしまった物事について、懐かしみ、しみじみと思い馳せていた。たっぷりの時間をかけて過去を振り返えると、本当にたくさんの人との出会いがあった。その中で、私をこの表現の世界に導いてくれた二つの思い出がある。

親愛なる親友へ

「一番」という言葉は使うのがなかなか難しい。それ以外は劣っていると同時に伝えることになる。それでも私は、あえて言う。私には1番の親友がいる。

彼のことはAと呼ぶ。

彼とは5歳の時にあった。振り返ると、彼がいたから、私はアーティストになりたいと目指すようになった。Aは3歳のことから俳優として活躍したいという夢があり、すでに子役として働いていた。Aは表現することを愛していた。Aが夢に対する誠実さと情熱と真剣な姿勢に私は惹かれていた。誰もが恋をしてしまうような綺麗な笑顔で夢を語るAは私にとって、憧れで初恋だった。Aと一緒に過ごす日々のなかで、私も自然と自分のやりたいことに気づいていった。

Aとは小学二年生になる前に別れた。Aは引越して、遠くに行くことになった。お別れの日、Aは私に聞いた。「今の夢は何?」ーその質問に、私はすぐに答えられなかった。「わからない」と答える代わりの言葉を必死に伝えた。「私はAみたいになりたい。夢があって、それに対して頑張る人になりたい。Aみたいに誰かに影響を与えられる人になりたい。」その後、お互い表現の世界で会おうねという約束をして別れた。メールアドレスも持っていない時代だったため、この口約束だけが私たちのお守りになった。それから馬鹿みたいにあの約束を信じて絵描きを目指し、私はとうとう20歳になった。

そして現実がやってきた。Aの親友と名乗るBに偶然出会った。BがAはもうこの世にいないことを教えてくれた。Aが14歳の時、事故で亡くなった。私はすぐに理解ができなかった。偶然なのか必然なのかわからないが、私がこの現実を知らなければならない運命なのだとしたら、Aとの思い出を忘れ始めても、美化してでも思い出を愛し続けようと思う。だが、どうにかこじつけて生きる理由を見つけようとしたが、そんなに簡単なことではなかった。

今でも、絵を描いている時、街を歩く時、ふとした時にAを思い出す。以前、教授が「ただ描くのではなく、誰かがそこにいて、その人に伝えるような気分で絵を描いて」と言った。私は迷わずに、目の前にAがいるように想像してやってみた。以後もそんな状況になるとそこにいるのは、いつもAだ。

あの綺麗な顔をもう鮮明に思い出せないが、私はこの世界を生き続ける。だけど、あの輝きやあの美しさは一生私の胸の中で生きていくのだろう。今日も溢れ出る愛を右手から表現している。ある人に言われた言葉を思い出す。「思い出は愛の深さだ。愛が深いほど思い出してしまうのだ。」

親愛なる私の最初のファン へ

「出会えなかった出会い」を記したい思う。出会ったけれど、出会えなかった。出会えなかったけど、出会えた。愛しい彼女のことは、ここではXと呼ぶ。

私が中学生の時、職業体験で養護学校に行かせてもらった。私は、そこの一人の女子生徒Yと出会った。私はYとパートナーを組んだ。そして、お昼寝をする授業を一緒に受けた。Yはうつ病とダウン症を抱えていた。Yが、「お姉ちゃん、お絵かきしよう。」と言い、紙とペンを渡してくれた。「旅をしたことないから、世界を教えて」とYは言った。その当時、私は京都とハワイくらいしか旅に行ったことがなかったから、私の好きな食べ物や自社仏閣を描いた。彼女はそれを目を輝かせながら見ていた。授業中だったので、彼女は先生たちに「お姉さんを困らせないの」と叱られていた。だが、Yは「毎日寝過ぎ。だから今日ぐらいいいでしょ。」と反抗した。Yはとてもお茶目な明るい子だった。

絵が一通り書き終わると、Yに「これ私のお友達, Xにもプレゼントしたいからもう一枚書いて!おそろいがいい!」とお願いされた。そのXはどこにいるのか質問する前に、Yはいった。「その子はこの前まで学校にいたのに、いないの。でも今度会えるんだ。だからプレゼントしたい!」と言われた。次の授業までに急いで描き上げた。その後様々な授業を受けさせていただき、職業体験が終わった。

高校受験の間近の季節だった。お礼の手紙を養護学校へ私の中学経由で送った。後日、一通の手紙が返ってきた。YとYの友達のXからの手紙だった。そこには元気な字で「げんき」と「え ありがとう」と書いてあった。また、もらった手紙の最後には養護学校の先生の方の字もあった。「あの日会えなかったXはもうあまり長くありません。だけど、毎日お姉さんが描いてくれた絵を見て笑顔になっています。彼女は世界を知りません。でもこの絵で旅に出れると喜んでいます。お姉さんのような素敵な友達を持ったと喜んでいます。彼女に絵を描いてくれてありがとう。高校受験頑張ってくださいね。」

とても嬉しい反面恐ろしくなった。かなりXの病状が進んでいる。Xの書く字はやはり綺麗で、だからこそ、恐ろしくなった。そんな絶望を味わったことのない私はなんと返事をしたら良いかわからなかった。

結局、返信できなかった。今自分にできることをしようと思った。これもただの自己満に過ぎなかったのかもしれない。そんなことを考えながら、目の前の受験勉強に励んだ。

高校受験後、合格報告までXが持つのかわからないと急に悟り、試験を頑張りきった報告だけはしようと、手紙を学校経由でまた出してもらおうと思った。次の日、先生に会いに行った。

だが遅かった。先生は私に気を遣って隠していた。高校受験前にとっくに余命の短かったXはもう逝ってしまっていた。顔を合わせたことも、声すら交わしたことのないあの子が消えた。私たちはついに会えなかった。

私たちは普通の友情関係としてはあまりにも距離があった。流れるような綺麗な字のメモも、どんなに苦しんで描いたかもしれない。想像ができない。一度も会ったことがない。交わした手紙もとっても少ない。そしてXにもう、二度と会えない。それでも、私たちには友情があった。


合格発表日。封を開けて入っていた書類の中に「合格」と書いてあった。私はXに一番伝えたいと思った。その日は真冬だが、晴天だった。きっとこの日はXが見守っててくれたんだろう。絵のお礼をしっかり受け止めて私は第一志望校に合格できた。

その後の高校3年間はとても充実していた。憧れの画家のクロードモネのフランスに二度留学したり、シカゴのアメリカ人を受け入れてホストファミリーになったり、高校の先生と友達、バイト先の友達、道で会った人、絵を通して出会えた人、たくさんの数え切れないほどたくさんの出会いがあった。大学はNYに進み、さらにたくさんの人たちと出会えた。

新しい人たちに出会うたびに、Xに彼らを紹介したいと思う。旅をしたり、恋をしたり、何かを経験したらあの子にこの思い出を話したいと思う。いつもたくさんの人と関わりたいと思う。知らない世界を見たいと思う。これはきっとあの子が私にくれたたくさんのご縁。

Xが生きたかった今を今日も生きている。出会えなかった出会いに感謝している。出会えなかったけど出会えた彼女へ、私の最初のファンへ、どうか、安らかに、永遠に。

思い出

思い出とはなんだろう。それは美化されていくものだろう。過去を振り返ると、未来を想像するみたいにわからないことだらけである。正確には忘れてしまったものばかりだ。だから、思い出とは、とても神秘的で愛おしい。どんなに嬉しくても、楽しくても、寂しくても、切なくても、悲しくても、愛おしくても、忘れてしまう。だからこそ、私たちは大切にしたいと思う。より愛おしく思う。今日という私をいろんな表現に変えようと思う。今日という私を残したいと思う。それでも忘れてしまう。だからこそ、今日は美しく、美しい。

将来もし私が、子供を授かることができたならば、今まで感じたことや、得たものを、少しづつ分けてあげたいと思う。そして彼らから思いがけないものを、たくさんもらうだろう。その上で、表現していくものも変わるかもしれない。あの人だったらどう思うだろうな、と考えたりしながら、日々があっという間に過ぎていくだろう。そうして循環していく人生を歩んでいいけたらと思う。そんな日々を、また書き記してみたいと思う。これからの日々、ほろほろとつもって、また形を帯びていきますように。